日中戦争・太平洋戦争の記録を残す写真

70年前は古い歴史でしょうか

憲法九条の改悪が進められようとする今こそ

多くの諸国民の犠牲を強いた記録こそ、正面から見つめることが必要と思います。

上の写真は、村から出征した若者で戦死した人達の写真です。 村の神社の祠の中に飾られていた物です。 戦後まもない頃までは、彼らを知る人も多く無念の死を悼んで祀られた物と思います。今はどれだけの人々が彼らを、覚えているのでしょうか。ただ、村人が悼んで記録としての残し、彼らの無念を次の世代に伝えようとする意志が伝わってきます。戦死したこれらの人々は、何を守ろうとして戦死されたのでしょうか? 私たちは、彼らの無念をかみしめることが必要と思います。これらの記憶・記録が、憲法九条の戦争放棄・戦力の不保持を望んだ多くの日本国民の、意思の底辺を支えるものであったはずです。

上の表は、秋田に関わる人々の戦死された方々の数です。35000人の方々の命が奪われました。これから日本の社会を支えて行くであろう若者でした。東北出身の兵は、我慢強い事から、厳しい最前線へ送られました。

1932年(昭和7年)の出征兵士家族の写真です。写真は、今ほど手軽に撮れる物ではなく、記念として撮る時代でした。この写真も、背景を見ると写真館で撮影した物です。明日をもしれない、命 もう二度と会うことができないかもしれない家族の心中を語るかのように、笑顔はありません。このような思いで写真をとった家族が、当時どれだけ多くあったでしょうか。平和な日常が壊される時、その犠牲を強いられるのはいつも庶民です

私たちは、大義名分より日常の幸せを第一と考えて、戦後歩んできました。もう一度そのことを思い、いたずらに他国の脅威を煽る者達に、踊らされたくはありません。しっかりと歴史と向かい合い、憲法を守っていくことが、唯一平和な生活を守ることと思います。